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寒記亭日記

日々の事を色々

ゴジラの上にたゆたうもの

シン・ゴジラを見て,ゴジラに何を投影するかというのは見た人が自分の内側にあるものを語るに等しい。だから,原発を恐れている人はそこに原発を見るだろうし,有事を意識している人はそこに戦争を見てしまうだろう。

それは優れた表現によって引き出された,見たものの内側である。無意識に引き出された「それ」は誰にも否定することは出来ない。さて,などと語りつつ私がシン・ゴジラを見て何をそこに投影したかといえば,それは地震であり原発であり災害である。

日本の首都圏は常に「いつ目覚めて牙をむくかわからない」巨大地震の巣の上に存在している。一度それが目覚めればとてつもない災害となるだろう。そんな危険なモノ,しかも「いずれ来る」「遠からず来る」と言われているそれを知っているのに,そこに膨大な人間が生活を営んでいる。

映画において「短時間で首都圏から人を逃げさせる」姿が描写されている。仮に,一週間前に「南関東でM7級の直下型地震が起こる」ことが予知できたとして,そこで起こるのは映画で描かれたようなパニックだろう。日本の交通網は優れているが,首都圏の人間を一週間ですべて外にだすほどの余裕はないし,土地もまた同じである。

あるいはそれは,2011年の大地震によって引き起こされた原発への恐怖でもあろう。あの時,もし燃料プールまで暴れていたら。東日本は壊滅的な放射性物質による汚染に晒されたことだろう。

映画の結末において,凍りつきそびえるゴジラを見て,あなたはそこに何を重ねるだろう。それは廃棄方法すら数万年という生物には長すぎる時間を要する放射性廃棄物だろうか,あるいは静かにその時を待つ地震だろうか,あるいは・・・?